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東京家庭裁判所 昭和44年(家ロ)48号 審判 1969年5月31日

申立人 飯塚安子(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

一、本件申立の要旨は、

申立人の兄飯塚弘一は、当庁昭和三八年(家)第七五四七号保護義務者選任申立事件において、同年八月六日申立人の保護義務者に選任された。しかしながら、弘一はさきに同年七月一日死亡した被相続人飯塚茂人の遺産分割について申立人との話し合いに応ぜず、そのため申立人において同月一五日弘一を相手方として右遺産分割の調停を申し立てていた。(当庁同年(家)イ第二、七三四号事件)。そして遺産分割事件は、調停が成立しない場合には当然審判手続に移行すべき家事審判法第九条一項乙類に規定する審判事件に該るから、弘一に申立人にとつてまさに精神衛生法第二〇一条一項二号にいわゆる「当該精神障害者に対して訴訟をしている者、又はした者」に該当し、保護義務者としての資格を欠くものである。よつて、弘一を申立人の保護義務者に選任した前記審判の取消を求める。

というのである。

二、関連各事件の記録に徴すれば、申立人は兄飯塚弘一を相手方として、昭和三八年七月一五日、その主張のような調停の申立をしたが、右調停は結局申立人が不出頭のため同年一〇月八日不成立に帰し、その結果、同日飯塚茂人の遺産(不動産)はすべて申立人と弘一とで持分二分の一の共有とする旨の裁判がなされたこと(当庁同年(家)第一〇二〇七号事件)、その間、同年八月六日に申立人主張のように同人の保護義務者として弘一を選任する旨の審判がなされたこと、がそれぞれ認められる。

ところで、精神衛生法第二〇条一項には保護義務者の欠格事由が列挙され、その二号において「当該精神障害者に対して訴訟をしている者、又はした者」はこれに該るとされている。しかして、右の規定は、後見人についてその欠格事由を定めた民法第八四六条五号(保佐人については同法第八四七条一項で準用)とその文言を同じくし、従つて同条項の趣旨とひとしく、被保護者と保護義務者とが利害の対立者として「訴訟」で争う間柄にあつては感情の離肯を免れず、延いて被保護者の福祉の万全を期し難いとの配慮に基づくものと解されるから、右にいわゆる「訴訟」には保護義務者が被告(相手方)となる場合を包含するとともに、単なる形式的に対立当事者となるに過ぎない場合はこれを含まないと解すべきであろう。そうだとすれば、関係者の合意に基づいて法律関係を定め、紛争の任意かつ自主的解決を図らんとする調停事件、また殆んどの紛争性を帯びない家事審判法第九条一項甲類に規定する審判事件は、いずれも当事者間には実質的な利害の衝突がないものとみるべきであるからここにいわゆる「訴訟」には含まれないというべきであるし、他方、紛争性を持つ同項乙類に規定する審判事件は、その審判手続は紛争を強制的に解決するための手続なのであるから、調停の段階に止まればともかく、そうでない限り右「訴訟」に含まれるといわねばならない。

本件についてみると、広太郎が保護義務者に選任された前記昭和三八年八月六日には、申立人と弘一との間には単に遺産分割調停事件が系属していたに過ぎないから、弘一には叙上のような欠格事由はなく、従つて右選任の審判は固より適法なものであり、その後、同年一〇月八日に至つて調停が不成立に帰し、審判に移行したことによつてここに初めて同時点以降、弘一に欠格事由が生じたものというべきである。(もつとも、申立人が不出頭に終始した右遺産分割事件の推移に着目するとき、審判手続の開始を以て弘一の欠格事由の発生とみることは、些か形式的に過ぎる嫌いがないでもないが、前記精神衛生法第二〇条一項所定の他の欠格事由が、かなり明確性を有することとの均衡を考えると、「訴訟」に該るか否かの基準も或程度画一的に割り切らざるを得ない。)そしてかように選任の後に欠格事由の発生をみたときは、保護義務者は後見人、保佐人の場合と同じく、選任取消など格別の裁判を俟つまでもなく当然にその地位を失うものと解すべきであるから弘一も右一〇月八日ただちに保護義務者としての地位を失つたといわねばならない。

以上の次第で、弘一を保護義務者に選任した審判の取消は、もはやこれを求める利益はなく、従つて申立人の本件申立は却下を免れない。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 中田四郎)

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